MYOJO 2000年2月号より


2/9=19才☆メモリアル・ジュークボックス
いい音食べて、育ちました。

知念里奈 本人いわく“肉の日”・2/9で19を迎えます。これを記念して、すくすくと育った歌声のルーツを探ってみましょう。いったい、どんないい音食べてきたの?教えて!

音楽開眼期
4才で出会ったマイケルが
DNAのスイッチを入れた

●81年2月9日、両親が海へドライブに行ってるときに産気づき、そのまま那覇市の病院へ向かいオギャ〜! 沖縄の地名・首里にちなんで“里奈”と名付けられた。さて、病院へ向かう途中、うれしくてジグザク運転してたパパは、その後も、ひよこ・里奈を乗せた車で、久保田利伸、矢沢永吉、ドゥービー・ブラザースなど、お気に入りの曲でごきげんドライブ。これが、ひよこの意識に音符を刷り込んでいったのである。

●4才になった里奈。人並みに『おどるポンポコリン』でポンポコ踊ってたある日、パパのつけたビデオに生涯一の衝撃を受ける。それは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』。「印象が強烈で、夢にまで出てきたよ」翌日からは、ポンポコはアォ〜に変化。里奈に宿っていた音楽好きのパパのDNAが、マイケルによって目覚めたのである。

●さて、小5のときママが新聞で見た映画のオーディションに興味を示し応募するが、みごと落選。しかし、そのオーディションをきっかけに、ダンススクールは通うことになる。学校に通いながらのダンスレッスン。そこで何度も流れるジャネット・ジャクソン、ZOOなどの曲、そしてダンスが体のすみずみまで深くしみ込んでいったのであった。

上京決意期
沖縄最後の思い出に、
一生懸命聴いた、そして踊った

●学校が終わってレッスンへ、という日々。遅い日は、帰るのが夜の10時なんてことも。「お腹がすいて駄菓子買ったんだけど、それで帰りのバス代なくなっちゃって、1時間かけて歩いて帰ったこともあった。翌日、友だちにバカって言われちゃった(笑)」

●しかし、中2のとき、パパの転勤で大阪に引っ越すことに。今までのレッスンは中断せざるをえなくなった。しばらく大阪で過ごしていたころ、デビューの話がもちあがる。「ずっと両親と話し合って、やっぱり歌の道を選ぶことに納得してもらって、私だけ沖縄に戻ることになったの」おばあちゃんの家から、レッスンへ通う。10月に上京が決まり、みんなと過ごす最後の遠足へ。「海が見える原っぱでフォークダンスやったの。いい思い出にしようと、一生懸命踊ったんだよね」卒業を前に行われた合唱コンクールでは、長渕剛の『乾杯』をみんなで歌った。

●96年10月21日『DO-DO FOR ME』でデビュー。15才とは思えない大人っぽいイメージでの登場だった。「デビューが決まってからは、体力トレーニングに力を入れて、ノドのために空気のいいところ選んだりして必死だった」デビューと同時に、初めてのひとり暮らしもスタート。同居のフェレット・ウメちゃんが、寂しさをまぎらわしてくれた。

歌声飛翔期
ひよこは、美しくさえずる
鳥となって羽ばたいた!

●97年3月31日、2ndシングル『Precious・Dericious』をリリース。暮れには第39回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。翌年4月15日にリリースした『Wing』では、プロモーションビデオの撮影で、初めての海外・オーストラリアへ。曲も大ヒットとなった。5月からは、『THE夜もヒッパレ』のレギュラーを始め、6月10日には、念願の1stアルバム『Growing』をリリース。翌年には、3/20〜4/18で、初の全国ツアーを実現した。99年までにリリースしたシングルは10タイトル。淋しさ、悔しさ、懐かしさ、うれしさ・・・いろんな気持ちで作り上げてきた曲たちだ。

●さて、2000年。ミレニアムの第1曲目は、織田哲郎さんのプロデュースで現在制作中「ポップロックっていう感じの、楽しく歌える曲だから、思いっきりはじけていこうと思ってる。でも、あくまでマイペース。今、自分が何をしたいのか、いつも心に聞く余裕を持っていたいからね」もうすぐ19才を迎える。1歩1歩着実に、自分の意志で作ってきた道がまた伸びていく。「駆け足になることもあると思う。でも、それは自分がスピードを上げたってことなの」ひよこの足どりは、いつしかしっかりしたものになり、今、走り出そうとしている。白く大きな羽を広げながら!





▲2才。すぐ下の妹・
メーちゃんを子守中。











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